不可能犯罪です


 こんにちは。米沢穂積です。
 ちょっと整理体操をやります。



 その朝。
 いつものようにお客様への奉仕の心を胸に出勤していた私を待っていたのは、パンダ色に赤色灯をつけた車の群れでした。私は一瞬、万引集団の摘発かと思いましたが、すぐに頭を振ってその考えを否定しました。万引で警察が一隊を率いて来てくれるようなことが決してないからこそ、私たち書店員は武装しているのですから。
 しかしなにかが起きたことは明らかです。駐車場の出入口全てに「KEEP OUT」の黄色テープが貼られ、これではお客様がお入りになることができません。お客様と警察との関係はどうだか知りませんが、私たちにとってお客様との関係は警察とのそれよりも重要なのは明らかです。私は腹立たしく思いながら、通用口にまわりました。
 そこには見張りの警官が二人、立っていました。全く、その姿といったら!
「POLICE」のロゴ入りシールドに、バイザーつきヘルメット。ボディーアーマー。手には警棒。腰のあれは……、ホルダーに入っていてわかりません。近寄ると、「HALT!」と制止されました。どこの人間だお前は、と思いながらも表面上はにこやかに、私は自分の身分を説明します。書店員か、だからといって通しはせぬ、いえいえ通していただかないとこれが私の役目ですんで、とすったもんだしていると、内側から店長閣下が現れました。店長閣下はかたじけなくも私のことを保証して下さり、結果私は関係者として店内に入ることができました。

「店長閣下、これはどうしたことですか。文化的に中立であるべき書店に、どうしてこれほどの警官が」
 思わず早口になってしまう私に、店長閣下は渋い顔で、声を押し殺してこう言われました。
「米沢君。確かに異例のことだが、起こったことが異例なのだから仕方がない。君はミステリーを書いているそうだが、ならば当然死体には慣れているだろうね?」
 突然のお言葉に戸惑い、また色よい返答が出来ないことを申し訳なく思いながらも、正直に申し上げます。
「いえ。そうでもありません閣下。拙作には死体がほとんど登場しません」
「そうか。いずれは取材のため、実践することもあるだろう」
 物騒だなこのおっさん私は黙って頭を下げました。
「とにかく、だ。君にも是非見てもらいたい」
 バックヤードを抜け、売り場に入ります。途端、私は店長閣下のお言葉が、決して冗談や酔狂の類でなかったことを悟りました。お客様が畏くも商品をお選び遊ばす売り場に、ぷんと漂う金臭さ。そして、不思議に静まり返った店内。誰もいないのか、と思ったとき、棚の影から男が一人、足音も立てずに姿を現しました。そう、一人だけです。
 彼は、表の機動隊員然とした見張りとは異なり、警察関係者らしいところはまったくありませんでした。濃紺色のスーツに、よく整えられた髪、地味な柄のネクタイ。ただ気になるとすれば、その静かな、あまりに静か過ぎる歩き方でしょうか。店長閣下は私をその男に紹介して下さいましたが、苦々しいその声色からは、閣下がこの男を決してこころよくは思っていないことが察せられました。
「これが当店の店員、米沢穂積君です」
「米沢穂積です」
 頭を下げる私に、その男は無害そうな微笑みを浮かべました。
「やあ、どうも。店長さんから話は聞いています。わたくし、チヨダと申します」
 なるほど。旧姓はサクラさんでしょうか
 名乗ってから、チヨダ氏は「ささ、こちらに」と私を招きます。
「いやあ、このたびはとんだことで」
 にこやかにそう言うチヨダ氏が手で示したものを見て、私は絶句しました。

 これまでも、当店では様々なことが起こりました。
 万引犯との絶え間ない戦い。防犯タグを巧妙に無効化した上でCDを万引しようとしたサラリーマンを、同志副店長が内股で投げ飛ばしたことがありました。囮作戦に迂闊にも引っかかり、『ドラゴンボール』全巻を盗られた日のことはいまでも夢に見ます。目を潤ませた幸薄そうな少女が、実は当時当店を悩ませていたグループの首魁だと知ったときほど、書店員道の無情さを思ったことはありません。
 万引関連以外でも、衝撃的な出来事は多々ありました。店内でお客様が産気づかれたときは、頭が真っ白になり何も対処できなかったことを憶えています。予算の調整でしょうか、図書館名義で領収書を請求されたお客様がお買い上げ下さった、十五万円相当の児童書の山。あれもビジュアル的にはインパクトがありました。あまりに年が離れすぎている男女の組み合わせ、義務教育を終えたかどうかもわからない女性が男性にしなだれかかり「ねえ〜あれ買ってくれるって言ったでしょ〜」とおねだりし、レジに持って来られたのが埴谷雄高『死霊』だったときは、自らの人生経験の浅さを恥じたものです。
 しかし、今回は衝撃的という点ではそれらの出来事を大きく引き離していました。私は即座に、店長閣下の先ほどの問いかけの意味を悟りました。
 もうおわかりでしょう。そこにあったのは、一個の死体だったのです。

 男、だと思います。ガラス張りの当店の壁際、壁側に足を向けて、それは倒れていました。人形でないとすれば、つまりこれが人間であったのなら、なるほどこれはどう見ても死体です。なにせ顔つきがわからない理由というのが、頭部が砕かれているからなのですから。衝撃覚めやらぬ私の心に、次第次第に冷たい怒りが湧き上がっていきます。近くの棚には、児童書が並べられています。びっしょりと脳漿をかぶった『ルドルフとイッパイアッテナ』、初代『アンパンマン』などなど……。殺すなら殺すで、どうしてブルーシートをかぶせるぐらいの気を利かせてくれなかったのでしょうか。
 もっとも、破壊部位が腹部でなかったのはせめてよかったというべきでしょうか。汚物を撒き散らされたのでは、状況はより悪いものになっていたでしょうから。
「凶器が店内にないからね、どうも自殺じゃないらしいんですよ」
 頭をかきかき、チヨダ氏は言います。
「ですが、関係者の方々にもよく見て頂いてね、いろいろご意見を伺った後、後日詳しく証言を頂こうと思いまして」
「はあ」
 随分変わった態度です。私たちに何を言わせようというのでしょうか。
 店長閣下がおもむろに口を開きました。
「朝、僕が店に来ると、この死体があったんだ。この男……、いや、男かどうかわからんが、この人は、どうやら閉店時、巧みに店内に身を潜めていたらしい」
 なるほど、と私は頷きました。
 当店の警備システムの全貌をここで書くことは出来ません。ただ、夜間に無断で店内に立ち入る者はB-SDFの定める内規に従ってごく内々に処理させて頂く、ということは強調しておきますが。
 重要なのは、通報に関してです。これもあまり表には出したくないことなのですが、夜間に店内に入ろうとした者がいた場合、あるいはその逆に、店内から出ようとした者がいた場合に、B-SDF本部に緊急通報が行くことになっているのです。つまり、閉店時に何らかの手段を用いて店内に潜むことが出来れば、翌朝の開店まで店内にいつづけることは、警備システム上は可能になっているのです。ちなみにセンサーは質量感知を使っています。
 これはもともと、夜間万引への対抗策として警備員を店内に伏せる場合に備えての仕様です。
 もちろん、お客様を夜間店内に閉じ込めるようなことにはならないよう、閉店時にはクリアリングが行われます。しかし、それは決して水も漏らさず蟻一匹見落とさない、というほど徹底したものではありません。お客様がいらっしゃれば見逃すようなことはありませんが、意図的に店内に身を隠した相手を確実に見つけ出せる、とは残念ながら言えないのです。
 この、頭部のない体の持ち主は、そこを衝いたのでしょう。
 しかし、それでは。私ははっと思い至り、死体に注いでいた視線を思わず店長閣下に向けました。店長閣下は私に、重々しく頷かれます。
「そうなのだ。この男が自殺でないとすれば、下手人はどうやって殺したのか……。どこから逃げたにしても、店内から人間が出て行ったとすればセンサーが必ず感知する。この事件、まったく、僕には何が起きたのかわからない」

 私は店内を見まわします。下手人が店内から出て行っていないとすれば、まだ店内にいるはずだからです。しかし店長閣下は私の浅はかな考えを読み取り、ゆっくりと首を横に振りました。
「死体を見つけてから、僕は即座に警備システムを入れ直した。君と同じように、まだ店内に下手人がいるかもしれないと考えたからだ。それからこのチヨダさんたちが駆けつけるまで、警備システムは入ったままだった。つまり、下手人と被害者が共に店内に隠れていたわけでは、ないのだ」
 さすがに閣下の対応は迅速にして的確です。
 そして閣下は、解せないというように眉を寄せつつこう言われました。
「当店の警備システム上、極端な話をすれば、コンクリート壁を破壊したとしても店内の質量が変化しなければ通報は発生しない。しかしだ米沢君、見てみたまえ」
 店長閣下のお言葉に従い、私は慣れ親しんだ売り場を再びぐるりと見まわしました。
「どこにも、人間が出入り出来るような開口部はないのだよ」
 確かに、店長閣下のお言葉の通りです。人間が出入り出来るような穴はありません。ただ、強いて言うならば。
 私は死体のそばの、ガラス壁を指差しました。
「あそこに……」
「いやあ、しかしあそこからは人間は出入り出来ませんよ」
 笑みを絶やさず、チヨダ氏が言います。
「いえしかし」
「それとも、米沢さんならあすこから入れますか?」
 私はかぶりを振りました。ガラス壁に開いた穴はごく小さく、虫一匹が出入りするのが精一杯でしょう。事件には全く関係がないとは思いますが、その穴からは蜘蛛の巣のように、放射状のヒビが走っていました。
「ですがその……」
「なんですか?」
「……いえ、なんでもありません」
 やむなく、私は口をつぐみました。そこから人間が出入り出来ないのは間違いないのですから。
 つまり、昨夜の閉店時から今朝の開店時まで、当店が所謂密室状態にあったことは、これで明らかになったと思います。私はその点を疑うのをやめ、再び死体に視線を落とします。
「死因は……」
 間髪入れず、チヨダ氏が言います。
「そりゃ、見ての通り、頭が潰されたからですよ」
「いえ、どうして潰れたのかなと思いまして」
 チヨダ氏は天を仰いで笑顔のまま大きく息を吐くと、肩をすくめました。
「大きな衝撃が加えられ、頭蓋が割れたからでしょう」
 まあ、確かに、それはその通りだとは思いますが。
 この死体、顔面は確かに吹き飛んでいますが、後頭部の側はよくよく見るとそうでもないのです。破壊はひたいの真後ろ辺りを中心に、ごく小規模に留まっています。穴、と言ってもいいでしょう。その、なんと言いますか、「凶器」による衝撃がそこから加えられたことは明らかです。
 私は途方に暮れた顔で、店長閣下を見やります。閣下は重々しく頷くと、もう一度お言葉を繰り返されました。
「この事件、まったく、僕には何が起きたのかわからない」
 と。
 頭をかきながら、チヨダ氏が笑顔で問うて来ます。
「どうでしょう、米沢さん。状況はわかっていただけたと思います。いやあ、こういう難しい事件になりますと、素人さんの自由な発想というのもなかなか馬鹿に出来ないものでして。どうでしょう、犯人がどうやってこの男を殺したのか、見当がつきますか。米沢さんもわからないということなら、この事件、迷宮入りは間違いないんですがねえ」
 そうまで言われては、仕方がありません。店長閣下の手前ということもあります。
 後頭部の一部に小規模な傷、そして吹き飛んだ顔面、壁側に足を向けて倒れている死体、ガラス壁に開いた小さな穴。
 私は、ゆっくりと口を開きます。

 さて、この男はいかにして殺されたのでしょうか。
 真相を見抜いたという方は
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 何が起きたのかさっぱりわからない、見当もつかないという方は、どうぞこのままお進み下さい。選択をしないうちにうっかり見てしまわないよう隠してありますので、反転して下さい。


「お力になれなくて済みませんが、この事件、まったく、私にもなにがなにやらさっぱりです。不可能犯罪としか思えません」
 チヨダ氏は目元に笑みを残したまま、困ったような声を出しました。
「そうですかぁ。いやあ、無理もないですね。それにしてもこの店の方は皆さん賢明です。……ああ、この死体の処理と店内の清掃、穴の開いたガラスの交換は当局が責任を持って行います」
 そう願いたいものです。
 そこから先は、速いものでした。チヨダ氏の合図で、どこにこれほどいたんだと思うほど大量の人間がなだれ込み、現場検証もなしに死体を運び出し、なぜだか落ちていた金属製のマッシュルーム型のゴミを拾い、脳漿で汚れた床を拭き、同じく汚れた棚は丸ごと運び出され全く同じものがたちまちに据え付けられます。この間僅か十分足らず。
 十五分が過ぎる頃には、チヨダ氏は笑顔と、「お見舞金」の入った袋を残して、去っていきました。
 静けさを取り戻した店内に、店長閣下の号令が響きます。
「……さあ米沢君、開店準備だ」
「はい閣下」
 そうして、何事もなかったように、一日が始まりました。



 そろそろ朝食にしますね。
 では。