追放処分です


 こんにちは。米沢穂積です。
 ちょっとエンジンリスタートを。



このところ新しくいらっしゃった方も多いようなので、念のため説明します
これは、書店員「米沢穂積」を主人公とした冗談短篇です
(ちなみにこのサイトの管理人は「米澤穂信」です)
過去に、
密室殺人です
秘密結社です
詐欺です
不可能犯罪です
の四つの話が書かれています
いずれ劣らぬ馬鹿馬鹿しさと自負していますので、暇つぶしにどうぞ



 私は書店員でしたが、いまはそうではありません。住み慣れた町を離れ、東京に来ています。
 書店員という天職に私がどれほどの愛着を持っていたか、またそのことをどれほど誇りに思っていたか、いくら言葉を費やしてもきっと充分にわかっていただくことは出来ないでしょう。エプロンを脱いだ日、深い後悔の涙に濡れながら痛飲をつづけ、挙句道端に倒れてしまった……、といったエピソードを紹介したところで、胸の内をわかっていただけるとは思えません。なぜなら、それは真実、私だけの問題なのですから。
 ですが、どうして私が書店員を辞めたのか、いえ、その職を追放されたのかお話しすることで、事情だけは汲んでいただけるものと思います。



 足を踏み入れてはならない場所というものがあります。
 魔境、秘境の類ではありません。コミュニティに属さないものがおいそれと踏み込んではならない聖地。あるいは人類以外の生命体たちの聖域。物理的に立ち入りが出来るかどうかはさておいて、文化的背景を持った人間であれば禁忌を感じずにはいられない場所のことです。私たち書店員にとって……、失礼、私がかつて属していた書店員という人種にとって、足を踏み入れてはならない場所の筆頭が新古書店です。
 書店は古本屋とは握手することが出来ます。商業的理由から入手困難となった本たちを再び棚に並べることが出来る古本屋は、その神学こそ異なるもののお客様という同じ神様に共に仕えるという点で尊敬すべき存在です。ですが、新古書店はいけません。あれは、書店がお客様にお仕え申し上げるという神聖なる契約に割って入る存在、異端です。全ての異端は焼かれなければなりません。
 しかし、法の支配の下にあるこの日本では、異端といえど全面的に抹殺することは残念ながら出来ません。書店業界の誇るB-SDFも法に縛られその火力を存分に振るえず、新古書店一店を一瞬で灰燼に帰せられる155mm自走榴弾砲を擁しながら22LR口径の豆鉄砲でこつこつ暗殺に励むというストレスのたまる展開を強いられています。

 さて、ところで、人間には魔が差す瞬間というものがあります。ルールは破られるためにある……、実に幼い自分勝手な言い分ですが、そこに一分の魅力が含まれていることを、私も認めなければなりません。禁忌を破ることの裏に潜むひとしずくの喜び、これを背徳感といいます。
 そして、私は書店員で、書店員は人間です。その頃私は新作『犬はどこにでも』を書き上げたばかりで、少し気が抜けていました。魔が差したのです。率直に告白しましょう。私は、新古書店に入りました。
 ですが、書店業界とは非常に寛大な世界です。新古書店に入っただけで重大な罪に問うようなことは、いくら書店でもありえません。せいぜい杖刑か、ひょっとしたらただの笞刑で済まされるかもしれません。
 問題は、私がそこで購入した一冊の本にあったのです。
 特段、変わった本ではありません。ある中堅出版社から出ていた、漫画本でした。

 面白い漫画でした。私は勤務の間に挟まれる休憩時間、事務室でその漫画を読みました。事務室には当然のようにモニターカメラが設置してありますが、そのことを嫌だと思ったことは一度もありません。本部が末端の情報を把握しようと努めるのは当然だからです。それに私には、後ろ暗いことなどありませんでしたから。
 ですが、その時の私の姿は情報部に分析され、専門の部署に諮問され、ある重大な結論を導きました。安穏としている私の耳に回転翼の爆音が聞こえてきたのは、本を開いてから三十分も経たないうちだったと思います。なんだろうと窓を覗く私の目の前で、一人の男がヘリからロープで滑り降り、駐車場に降り立ちました。その胸のマーク! 葡萄搾り機を模したあのエンブレムは! 私は自分の背に戦慄が走るのを自覚しました。男は、査察部の人間だったのです。
 ほんの五分後。
 事務室は、略式の書店法廷と化していました。検事にして裁判官を務めるのは査察官。弁護士はなし。
 被告は、私でした。

 男は黒いスーツに黒いネクタイという、まるで葬式のような格好をしていました。ご丁寧にサングラスまでかけています。彼はあくまで峻厳として、私に問いました。
「同志書店員、米沢穂積。君のことで間違いないな」
 私は冷や汗が背を伝うのを感じながら答えました。
「はい、同志査察官。私が米沢穂積です」
「よろしい。私がなぜここに来たか、君にはわかるかね」
「いえ、わかりません」
 しかし私にはわかっていました。机の上にはさっきまで読んでいた漫画本が伏せられています。きっと、新古書店への立ち入りが発覚したのです。しらばっくれながらも私は震え上がっていました……、が、同時に、それだけならば罰は重いものではないだろうと楽観的に考えてもいました。
 実際、査察官はこう言ったのです。
「フム。君が新古書店を利用したことは既に調べがついている。そのコミックは、新刊書店ではなく新古書店で買ったものだろう」
 私は観念しました。
「申し訳ありません同志査察官。確かに私は書店員としてあるまじき振る舞いに及びました。しかるべき罰を受ける覚悟は出来ています」
 我ながら殊勝な態度です。……ですが、査察官は不快を露わにしました。
「君は自分が言っていることの意味がわかっていないようだ。問題がどこにあるか、わかっていない」
「……?」
「重ねて問おう。君は、新古書店で、そのコミックを買ったな?」
 状況を把握できない不安が沸きあがります。
「はい……」
「では!」
 突然、査察官は声を張り上げました。
「同志米沢穂積! 君は、そのコミックが、この店で万引きされた品だということを知っていて、そのコミックを買ったのか!」
 私は凍りつきました。

 いまとなっては、説明するまでもないことですが……。
 書店で万引きが多発する理由は、大きく二つあります。一つは本が手頃な価格の商品で、「スリルを味わう」のにちょうどいいターゲットだと考えられているから(ただ、捕らわれた彼らは「処置室」の奥で、彼らのスリルがどれほど高くついたか自らの体で学ぶことになるのですが)。もう一つは、それが換金性の高い商品だから、です。
 盗まれた本は、ほとんどの場合、愛され書架に入ることはありません。それらは売られるのです。売られ、万引き犯たちのささやかな小遣いになる……。しかし買うものがいなければ盗品売買は成立しません。誰が買うのか?
 言うまでもありません……。新古書店です!
 書店員から見れば、新古書店は異端です。ですが大きく深呼吸して公平に見れば、彼らは別に犯罪者集団ではありません。単に滅せられるべき存在というだけです。
 しかし、贓物故売は犯罪です。たぎる憎しみを押さえ込み、どこまでも公平に考えれば、新古書店も自分たちが贓物故売に手を染めているとは考えたくないはずです。ですが実際は、そうはなっていません。モノを売ってくれる人間は新古書店にとってお客様です。彼らも彼らなりのおぞましい信仰でもって、そうしたお客様を邪険に扱うことはなかなかできないのでしょう。
 そうして、盗まれた本の何割かは確実に新古書店に流れていきます。
 しかし……、
 まさか……、
 私の買った、これが!?

 私は理解しました。なぜ、最高でも杖刑程度の新古書店入店の罪に対し査察部から査察官が派遣されたのか。本を開いてから三十分足らずという対応の速さは何を意味するのか。
 私が、盗品を、買ったからなのです。
 ……内規では、万引誘致は死罪、万引幇助は流罪となっています。ちなみに流罪は、このあたりだと東尋坊から日本海に向かって放り投げる形で行われます。
 万引品を買ったことがどれほどの罰に値するのか、私には想像も出来ませんでした。不甲斐ない私を笑ってください。私はこのとき、自らが犯した罪の重さを思うよりも、自分の命が長らえるかどうかを考えていたのです。
「同志米沢穂積! 君は知っていたのか、いなかったのか!」
「わ、私は……」
 震える声で、何とか言います。
「知りませんでした。これが、このコミックが万引品だなんて、まさか……」
「そのことを証明できる者はいるのかね。あるいは、証拠は?」
 私は必死に考えますが、いったい何をどうすれば私が所謂『善意の第三者』であったことを証明できるのか、見当もつきません。
 答えられないでいる間に、査察官の譴責は続きます。
「入荷データと在庫データと売上データを把握していれば、その本が買われることなく当店から失われたことは知りえたはずだ。よしんば君がどうしようもない怠慢のクズでそれらのデータを見ていなかった、あるいはそこから万引という結論を導けなかったとしても! その本が新古書店で売られるには美品すぎることに疑いを挟まなかったその愚劣さは罪として余りある!」
 確かにそうなのです。この漫画本は綺麗でした。帯も投げ込みチラシも全部揃っていて、開き癖も一切ない……。
 許されるなら、私は声を上げて泣きたかった。そうです、言われてみれば、これは実に万引品らしい本だったのです。なぜ気づかなかったのでしょう。禁忌の地に踏み入る邪な陶酔に我を忘れてでもいたのでしょうか。ああ、確かに、それは罰せられるべき罪ではあります!
「買う者がなければ売られない。書店員米沢穂積、君は万引犯を幇助した。知ってのことであれ、知らずにのことであれ、その罪に対する罰は……」
 そのときです。事務室の扉が突然押し開かれました。
 そこにいたのは、
「米沢君……」
 我が指揮官、店長閣下でした。

 いよいよ進退窮まった。店長閣下の姿を見て、私はそう思いました。
 閣下の、お客様への無私の奉仕は私の遠く及ぶところではなく、書店本部への忠誠は厳然として揺るぐことがありません。その店長閣下が万引品を買った私を、しかもこの店から盗られた本を買った私を許すはずがありません。
 たった一度の不心得で、こうも全てを失うことになろうとは……。私は唇を噛み、目を閉じました。
 店長閣下は言いました。
「同志査察官。確かに、同志米沢の罪は重い。彼は新古書店に入り、しかも不注意だった」
「フム」
 満足そうな査察官の声。
 しかし店長閣下は、思いもかけない言葉を続けました。
「しかし、彼はこれまで、完全ではないにせよお客様に忠実であろうとしてきた。未熟な部分も多々あるにせよ、幾柱ものお客様のご要望を叶えてきたことも、また確かだ。当店の店長として、私は、彼の助命を嘆願する」
「なっ!」
 思わず声を漏らしたのは査察官ではなく、私でした。余人ならいざ知らず、まさか店長閣下が、罪深い私を弁護してくださるとは。
「閣下……」
 その先を続けられない私に、店長閣下は無言で頷きました。
 収まらないのは査察官です。書店組織は本部が絶対的な力を持ちますが、「お客様は神様」という絶対不滅の原則がある以上、直接お客様に対応し奉る前線の責任者の言は決して軽くはありません。彼は怒りを隠そうともしませんでした。
「同志店長。君は、君はこの無能にして愚劣な男の肩を持とうというのかね」
「彼は罪を犯した。……しかし、無能で愚劣かどうかは、別の問題だ。そういう言葉を使うのはやめていただく。彼は……」
 店長閣下の表情は、この場にあって不釣合いなほど穏やかでした。
「彼は、私の部下です」

 一瞬の憤激を押さえ込み、サングラスを指で押し上げると、査察官はこれまで以上に冷徹に言い放ちました。
「よかろう。万引品を買った同志米沢を君が庇ったことは、本部に報告させてもらう。気の毒に、君にとって決してプラスには働かんよ」
 店長閣下はゆるやかにかぶりを振りました。
「私はお客様に本を売れれば、それでいい……。もとより、お客様という神の前でわれわれに上下があることが、間違っているのだ……」
 独り言のようなそれは、明らかに組織批判でした。反逆と取られかねません。私を庇い店長閣下に累が及ぶことがあってはあまりに心苦しいと口を開きかけた私ですが、
「君は黙っていたまえ」
 という店長閣下の言葉に沈黙せざるを得ませんでした。
 査察官は少し口の端を持ち上げ、すぐに無表情に戻り、宣言しました。
「では、査察部の権限において処分を言い渡す。
 同志店長の弁護を受け、罪一等を減じ、処分は米沢穂積の書店員籍剥奪とする。この処分は半永久的なものであり、時間によって撤回されることはない」
 永久追放。
 確かに、罪に比して軽い処分ではあります。ですが……。
 私は、自分が書店員でなくなったことに、自分でも思いがけないくらいの衝撃を受けていました。
 楽しいことばかりの日々ではありませんでした。本は重たいですし、紙は時折鋭利な刃物になって指を切りつけます。お客様は神様でみな尊いのですが、扱いかねるお客様がいらしたことも確かです。ベストセラーは入らない、不良在庫確定の本ばかり入ってくる、売りたい本に限って数字がついてこない……。
 が、どうやら、私はそれでも、書店員であることを愛していたようです。
 力なくうなだれる私。
 しかし、査察官の処分はそれで終わりではありませんでした。
「……ただし、米沢穂積が買った万引品を盗んだ万引犯を捕らえた場合は、この処分を撤回し、米沢穂積を元の職に戻すものとする。なお、ここで言う捕らえるとは生死を問わないものとする」
 はっと顔を上げました。査察官の、そして店長閣下の顔を見ます。処分撤回の可能性が、どれほど低いものであっても残されるとは。
 この処分の寛大さは、弁護をしてくださった店長閣下にさえ意外なものだったようです。閣下は小さく驚きの声を漏らしましたが、すぐに私に向かって、厳しく言いました。
「米沢君。聞いての通りだ。楽な旅にはなるまいが……。当店は、君が本懐を遂げるのを待っているよ」
 私は、こみ上げる別離の思いに声を詰まらせ、ただ頷くことしか出来ませんでした。



 そうして、書店員でなくなった私は東京にやってきました。
 私が勤めていた店は幹線道路沿いで、観光客がお立ち寄り遊ばすことも多かったのです。生まれ在所で心当たりを調べつくした私は、あてもなく日本で最もひとの多い町にやって来たのです。
 胸には本部から発給された仇討免状を。そして手には、書店員の得物、エレクトロンを持って。
 手がかりはありませんが、どんな小さなことも見落としはしません。
 東京の夜、私は暗がりから訊くでしょう。右手にエレクトロンを、左手にあの運命の漫画本を下げて。
「某月某日、○○書店でこのコミックを万引したのは貴様だな?」
 と。

 ちょっと尋常じゃない印象を受けるかもしれませんが、大丈夫です。素直に答えてくだされば、私も何もしませんよ……。



 まあ、なんにでも完結篇はあった方がいいかな、と。
 ちなみに「エレクトロン」とは、静電気はたきのことです。


 メールを頂いたので、少々無粋とは思いながら追記します。
 新古書店を厳しく批判しているのは「ファナティックな書店員」という冗談のための演出です。私自身は別に目の敵にしているようなことはありません。
 まあ……、自分の新刊が流れていると少し悲しい気持ちになることは確かですけれど。