それです
こんにちは。米澤です。
実はもう年は明けているんですが、ちょっと急いで帰省したものですから、最後の近況報告が適いませんでした。間に合わせですが、あとづけでやります。
帰省すれば旧友にも会います。
……友よ。僕は君の現状を知っている。
僕は君が困っていれば苦しく思うし、窮地から逃れたと聞けば嬉しく思う。幸せを見出したとなれば、心から祝福する。
僕は友として、君を助けたいと思う。力になってやりたいと思う。君はそれを重荷に思うかもしれないが、君を助けるのはまさに、僕自身のためなのだ。大丈夫、僕は君に助けてもらうことを、つらいとは思わないから。
だが友よ。君も知っての通り、僕は物事に手加減をすることができない。
いや、これは手加減をする類の話ではないのだ。
たとえ君のために日本を跨ぐことは厭わなくても、ここを譲る気はない。
その九索、ロン……!
年頭に役満ならこいつぁ春から縁起がいいということになりますが、年の暮れに和了しても、なんだか一年の運を最後まで残してつまらないところで使ったようで、喜びきれません。
でもその九索はロン。
今年は、『インシテミル』と『遠まわりする雛』の二冊を出すことができました。
前者は多くのミステリ読者に喜んでもらえたようで、年末に至り、いくつかのランキング本で評価されたようです。嬉しいことです。
後者は念願だった〈古典部〉シリーズ短篇集。ようやく辿り着いたと感無量です。
また、いくつかの短篇を書くことができました。いくつかは、それなりに良いのではないかと思える出来になりました。短篇集の形にして、お届けできる日が楽しみです。
ですがその一方で、〈小市民〉シリーズの続刊を今年のうちに出せなかったことは不覚です。お待ちいただいている読者の皆様に、本当に申し訳なく思います。
2008年最初の仕事は『犬はどこだ』の文庫化(あるいは『春期限定いちごタルト事件』コミック版の発売)になりますが、『秋期限定』も、全力で頑張ります。
2007年、ありがとうございました。
(07.12.20)
前回のクイズの答えは「くさなぎのけん」です。効果はルカナンです。
トラップです
こんにちは。米澤です。
中国のネイチャンという町に流れる川の名前はトオチャンです。
年末年始は新年会・忘年会のシーズンですが、私には基本的に無関係のことです。全国一億人の下戸・社交下手の皆様にお悔やみ申し上げます。私はコタツでミカンです。ところで先日鍋焼きうどんをひっくり返した結果、コタツ布団をクリーニングに出さざるを得なくなり、現在進行形で寒いです。なんとかなりませんか。
とまれ、忘年会には基本的に無縁な私ですが、今年は某社からお誘いを受けたので、出版社系パーティーに加わらせていただくことにしました。あまり小説を盛んに出版している出版社ではないので、顔見知りも少なく気軽にメシが食えるだろうと思ってのことでした。
マリア・テレジアがイタリアに作らせたオペラハウスはスカラ座です。
ところで、出欠確認の葉書に、妙な項目がありました。「クイズ大会に参加しますか」といった文だったと思います。
出版社系パーティーでクイズやゲームといえば、角川書店の新春感謝会ではビンゴ大会が恒例です。男性声優がボールを引いて、女性声優が読み上げます。毎年たいてい、一人は変人が当たって壇上に上りますが、まあ、これは角川新春感謝会の変人率の高さを示しているだけかもしれません。
こちらの忘年会も、似たようなことをするのだろうと思いました。参加賞があるから、景品の準備の都合上、参加人数を確定したいのだと。何の気なしに、私は「参加」にマルをつけました。
怒ったとき胃液を吐く動物はラクダです。
後日。
その某社から、電話がありました。
「米澤さん、勇気がありますね」
「……は?」
「クイズ大会のことですよ」
投函から日が経っていましたので、しばらく何のことかわかりませんでした。ややあって、そういえば参加にマルつけたなあと思い出しました。
「フロアで○×クイズみたいなことをするんですか」
と訊いたところ、一笑に付されてしまいました。
「何を言っているんですか。1チーム4人で、チーム対抗でクイズ大会ですよ!」
目がまんまるになりました。
「うちの編集部から、参加にマルをつけたのは米澤さんだけでした。いやー、人数が確保できて良かったです!」
え。
ええ?
……話を聞けば要するに、某社の某部署の代表として、他の部署と対抗して壇上でクイズ大会をやると、こういうことのようです。
で、忘年会に毎年参加する方々は、そういうイベントだと知っているから参加にマルをつけない、と。
そんなこととは露知らず(魂を搾り出すような絶叫)!
私こと米澤は、知性はともかくとして、知識はたぶん、からっけつというほどでもないのではと思います。
ただ、クイズは知識だけでは勝てないのです。
早押しならば判断力と勇気。パネル式でも、自分の知識を信じることができなければ、裏を狙った挙句に自爆ということが頻発します。あれは、案外熟練を必要とするゲームなのです。
それに、知識には二つの段階があります。一つは知っていること。もう一つは「正確に」知っていること。この正確性が、実に、アマチュアとプロの境目だとホームズが言っていました。たぶん。ルパンだったかな。ほら不正確だ。とにかくそういう意味では私はアマチュアです。私が「正確に」知っていることなど、ほとんどありません。
それなのに、作家や漫画家やイラストレータが数百人単位で詰め掛ける出版社系パーティーで、壇上に上ってクイズ大会ですと!
サツマイモはヒルガオ科の植物です。
年の瀬に、とんでもない試練が待っていたものです。
せめて、フツーに乗り切りたいものです。それにしても、いったいどんな傾向の問題が出るのでしょう。
ミステリ系の問題は、出ないだろうなぁ。出ても答えられないしなあ。「きちがい」とされた俳句は、どんなでしたっけ。
案外、出版社が出版社ですから……
Q1:以下に挙げる武器の中で、道具として使用した場合の効果が「みなごろしのけん」と一致する可能性があるものを選べ
・ほのおのつめ
・くさなぎのけん
・さざなみのつえ
・ふぶきのつるぎ
・せいぎのそろばん
みたいな問題が出るかもしれません。
まあ、適当にやってきますですよ……。
(07.12.20)
所々に出てくる雑学は、『有閑倶楽部』からひっぱってきました。
ドラマ化のおかげで愛蔵版が手に入りやすくて助かります。
あと、案内書にはちゃんと、クイズ大会の詳細もあったと思います。私が見落としたのです。
第二法則です
こんにちは。米澤です。
いま、私は煩悶し、懊悩しています。
エントロピーは不可逆的に増大する。しかしこれは、巨視的な視点での言い草であり、微視的に考えれば、そうでもないのです。たとえばクーラーは、室外に大きな熱を排出することによって、室内を冷やします。外側にエントロピーを押しつけることで、内側のエントロピーを下げることに成功しているのです。もう少し熱力学的に正確な表現が出来ればいいのですが、文学士にはこの程度が精一杯です。
そしていま、私は増大する一方のエントロピーに対して、有効な手を打てないでいます。決定的な欠落があるのです。ええ、そうです、私が言っているのは
本のことです。増殖する
本を整理しないことには、ひとに貸すことにした
本を見つけ出すことは出来ないのです。しかし、私は先程から頭を抱えるばかりで、文庫本一冊動かすことさえしていません。
ああ、むべなるかな! 読者の皆さん、想像してみてください。右にあったものを下に、下にあったものを左に、左にあったものを上に、上にあったものを右に移す作業を、果たして「整理」や「整頓」、あるいは「エントロピーの局所的な縮小」と表現することが出来るでしょうか? それは賽の河原で石を積むようなことだと、お思いにならないでしょうか?
本棚です! すべての問題を解決するのは本棚です。本棚を擁して溢れる
本を三次元的に収納し、隔離し、封印することができれば、私は自分自身の生活空間を確保し、六畳間で鍋物を食べられるようになり、かつて誰をも招き入れられたことのない部屋に二つ目の(そしておそらくは永遠に使われないであろう)座布団を置くことができるのです。清掃の効率を上げ、どこかにいってしまったコートのボタンを見つけ出し、
神田三省堂のカフカタワーに匹敵するバランス感覚を持って積み上げられたGファンタジーを地上の存在に引き戻すことが出来るのです。
しかし、しかし、すべての決定的な解決策である本棚を、六畳のどこに置けというのでしょうか? 立って半畳、寝て一畳。その六倍もの面積を所有していながら、エントロピー縮小のよすがさえ見出しえないのは、果たして熱力学の第二法則のためであるのか、それとも、私の三次元把握能力のためであるのか。言い換えれば、もともと無理なのか、私が片付け下手なのか。私は決して、読書家ではありません。必要な
本をつつましく所有し、読みたい
本を楽しみに読むだけです。蔵書というのも恥ずかしい無分別な活字の群れは、「
本の海」「
本の山」というほどのものではありません。せいぜいが、池か丘といったところでしょう。それなのに。ところで話が逸れますが、私の周囲の誰に訊いても梶山季之『せどり男爵数奇譚』を読んでいないひとがいないんですが、あれってそんなにメジャーな
本なんでしょうか。
あるいは、コクヨの事務用書類棚がもう一架あれば、既存の本棚との収容能力の差が、事態を解決するには及ばなくても好転させることが出来るかもしれません。ですが随分探しているのに、あれほどどこのオフィスにもありふれているコクヨのスチール棚が、どこの小売店にも売られていないのです! コクヨのヨコクとか駄洒落てる場合じゃないでしょうよ!
そもそも、カラーボックスを持って書棚の代用にする行為には限界があります。悪い選択ではないと思っていましたが、どう考えても同体積の書棚に対して収容能力が劣り、検索性が落ち、高さに対する抵抗性も
おなかがすいたのでここまでです。
片づけないとご飯も食べられないので、今日は外食です。
(07.12.10)
出かけました
こんにちは。米澤です。
このサイトには、メールフォームが設置されています。
お送りいただいたメッセージは、ありがたく拝読しています。落ち込むこともありますし、力づけられることもあります。
なかなかレスはお返しできないんですが、いくつか質問をいただいたので、
サイン会でいただいた質問とあわせて、お答えします。
Q1.wikipediaで某作に続編があると読んだんですが
これのことですね。
続篇、というわけではないのですが……。
来月の「ミステリーズ!」にも、同じ登場人物が出てくる短篇が載ります。
Q2.『クドリャフカの順番』はもう手に入らないんですか
そんなことはないですよう……。
ネット書店で「在庫なし」でも、出版社在庫はあることが多いです。お近くの書店でご注文ください。
なお、『遠まわりする雛』の増刷とタイミングを合わせて、『クドリャフカの順番』も増刷されました。
改めて配本された書店もあったのではと思います。
Q4.「11人のサト」やノンシリーズの短篇集が発刊される予定はありますか
ノン、モナミ(いいえ、我が友よ)。
Q4.『遠まわりする雛』で天文部が遊んでいたのは「トラベラー」ですか
いいえ、「シャドウラン」です。
突入しようとしているのはレンラクアークです。
……と思いましたが、それではスペースファンタジーにはなりませんね。では「メックウォリアー」で。
すいません、「トラベラー」は遊んだことがないのです。
Q5.ご無沙汰しています。Aです。最近どうしていますか
これは久しぶりです。米澤です。最近ですか、小説を書いています。
ところでA君はどうしていましたか。
九州で工学の助教をしています
へえ!
ということで、九州は福岡まで出かけることにしました。
A君とは、小学校卒業時に別れて以来になります。
あれからはや、十数年です。
十数年ぶりに友人と再会したら、一方は工学の研究者、もう一方はミステリ作家とは。
これは舞台が整ってしまいました。
きっと福岡に着いて、一献交わして久闊を叙していると、思わぬ事件に巻き込まれるに違いないのです!
それで、私が得々として推理を語ると、Aは不機嫌にこう言うはずです。
「それは推理とは言わない。ただの妄想だ」
で、盃を空けて、
「そういば君は算数が苦手だった。だがこの十何年で、君は論理の何たるかを学ばなかったのか?」
ならば君が推理してみろと言っても、きっとこうかわされてしまいます。
「データが足りないな」
しかし翌日、東京への帰途に就こうとした私のもとに、Aは電話をかけてくるでしょう。
「昨日の件だが、犯人がわかったよ。東京に帰る前に、聞いていかないか」
そしてミステリ作家の私は、彼の話をどこかの雑誌に書くのです。
完璧とはこのことです。
どんな事件が起こるか楽しみにし、労せずしてネタがひとつ転がり込んでくる幸運に喜びながら、私は「のぞみ」で新宿を出ました。
途中、神戸で軽く取材して、博多駅へ。
しかし、現実のアンチロマンティックはとどまるところを知りません。
これほどの舞台装置が整っていながら、事件のひとつも起こりゃしないのです。まったく、けしからんことです。
彼は素晴らしいモツ鍋を振る舞ってくれました。
しかし二軒目で、注文しようとしたふぐ刺しは、あいにくと品切れでした。
私も彼も、いまだ道半ばの身です。
ふぐ刺しがないというので、仕方なくふぐの皮の刺身を肴に酒を飲みました。
「いまはふぐの皮の刺身だけど、今度会うときは『なに、ふぐ刺しがない? そんなら玄界灘に船を出し、いますぐにでも釣って来い!』と言えるぐらい偉くなろう」
そんなことを話しました。そりゃただのヨッパライです。
……まあ、別に偉くなりたくはないですけどね。ふつうに仕事ができれば充分です。
翌日、
イムズでフレンチトーストを食べて帰ってきました。
さあ、明日からまた、がんばります。
(07.11.20)
一知半解は死を招きます
こんにちは。米澤です。
久し振りに外に出て、電車に乗りました。すると、近くに、女子学生の一団がおりました。高校生ぐらいだったと思います。
彼女たちはセーラー服を着ていたのですが、そのカラーの隅に縫い取られた、校章と思しきマークに目が行きました。
それは“蛇が巻きついた杖”のようでした。これは医療の象徴。私は、「ああ、看護学校の生徒なのかな」と思いました。
ところが、電車が混んできて彼女たちの方に押し出され、より近くで校章を見られるようになると、私は自分の勘違いに気づきました。それは“杖”ではなく、“錨”だったのです。
言うまでもなく、錨は船、海などの象徴です。私は、「水産高校の生徒かな」と思いました。であれば、巻きついているのは“蛇”ではなく、“ロープ”なのでしょう。
ところがところが。それは紛れもなく、“蛇”でした。つまりその徽章は、“蛇が巻きついた錨”だったのです。
医療の象徴と、海の象徴。つまり、「え……。船医さんの養成学校?」。
いろんな学校がありますから、船医さんの養成学校がどこかにあっても、不思議とまでは言いません。しかし、目の前の女子学生の一団と、船医さんのイメージがどうにも重ならず、私は混乱しました。
同乗していた編集者さんに、あの徽章の意味がわからない、と伝えました。すると編集者さんは言いました。
「なら、直接訊いてみればいいじゃないですか」
なるほどそれが一番手っ取り早い、と頷いて、話しかけようと半歩を踏み出したところで、ふと気づきました。
「あの。いきなりそんなことを訊いて、変なひとに思われませんかね」
「思われるでしょうね」
「遠くで知らない人のふりしてるとか、やめてくださいよ」
すると編集者さんは笑って、
「何を言ってるんですか。腕を掴んで『このひと痴漢です!』と言ってあげますよ」
このひとは……。
家に帰って、ざっと調べたところ。
「お前が言ってるのは“二匹の蛇が螺旋状に巻きついた杖”のことだろ? お前、それ何だと思ってるんだ? ヘルメスの杖? お前バカか? ヘルメスは医者か? ちげーだろーよ! 医者の象徴は“一匹の蛇が巻きついた杖”だって。お前の勘違いだって。まったく、アメリカ陸軍軍医部が“ヘルメスの杖”を紋章にして以来、医療のマークと思い込んでる奴が多くって困るんだよな!(大意)」
ということがわかりました(
参考)。
“二匹の蛇が螺旋状に巻きついた杖”が象徴するのは、大雑把に言って「商業」や「平和」のようです。ということは、くだんの徽章は海のイメージに商業のイメージを加えたものですから、意味するところは「国際貿易」といったところでしょうか。
商業高校のマークとして適切だったことがわかります。
いやいや、知らぬは一生の恥とはいえ、一知半解は実に危ういものです。
どのぐらい危ういかと言えば、編集者さんに痴漢扱いされかねないほど危ういのです。
こころせねばなりません。
(07.11.10)
調べたとはいえ、ざっとしたもの。私はそれほどシンボルに詳しいわけではありません。
まだまだ誤解があるかもしれませんので、あまり当てにはなさらないよう、お願いいたします。
サイン会を行いました
こんにちは。米澤です。
先日、ある出版社の編集者さんと、久し振りにお会いしました。
あれやこれやと久闊を叙し、軽い世間話を前置きに、話は私の新刊に及びました。
「米澤さん、『遠まわりする雛』、読みましたよ」
「あ、ありがとうございます」
「ところで、ひとつ疑問があるんですが……」
どきりとしました。出版直後に、他社の方とはいえ、編集者さんから疑問が呈されるとはろくなことではありません。自然、せすじも伸びようというものです。笑顔を消して、私は言いました。
「何でしょうか。伺います」
「主人公のことですが……」
心なしか、編集者さんの声も低くなったようです。
「……なぜ、白のトレンチコートなんでしょうか?」
なるほど。
それは深遠にして重大、かつ根本的な疑問です。
私は答えました。
「私が高校時代に着ていたからです」
「なるほど! 納得しました!」
折木奉太郎が白いトレンチコートを着ているのは変でも、私だったらありそうなこと、と……。
二ヶ月連続のサイン会、無事に終了いたしました。
『遠まわりする雛』のサイン会は、150枚の整理券に対してお客さまの数が135名様を超え、90%以上の参加率となりました。たいてい80%前後ですので、これは驚異的な高率と言うべきです。ご参加、ありがとうございました。
各種差し入れも、ありがたく頂戴いたしました。それにしても、差し入れの生産地を見ると「長野県」とか「山口県」とか「高知県」とか……。ま、まさかとは思いますが、私のサイン会のために東京まで?
これは、気合を入れねばなりません。一週間ほど湯豆腐しか食べてなかったら体が動かなくなったー、とかやっている場合ではありませんよ。
整理券にはコメントをお書きいただきましたが、中にはご質問を寄せてくださる方もいらっしゃいました。
後日、この近況報告ででも、お答えいたします。
(07.10.20)
私が着ていたのは、実際は、黄色みがかったクリーム色のような色でした。ところが折木は基本的に野暮なので、色の語彙は乏しいのです。
コートぐらいならともかく、着物の色も表現できないので難儀しました。
回りません
こんにちは。米澤です。
草木も眠る丑三つ時のことでした。
つまり、午前四時ごろのことです。
……より正確に言うと、丑三つ時はだいたい午前二時から二時半のことですから、午前四時は違いますね。
ええと、ねーうしとらうー。「寅の二つ時」ですか。
というよりそもそも、不定時法の表記を定時法にあてはめようというのが無理なのです。
時刻表記にこだわっていては話が進みません。
要するに午前四時ごろ。私は突然の物音に目を覚ましました。
寝ぼけ眼をこすりこすり、何事かと起き上がると、暗闇の中に薄ぼんやりと、青い光が射しているではありませんか。
産毛までもが逆立つような気がいたしました。
青い光の正体は、ああ、なんということでしょう、チェレンコフ光……
ではなく、windows vistaの起動画面だったのです。
一日の仕事を終え、スリープモードにしていたはずのノートパソコンが、勝手に起動しているのです!
手も触れていないのに、午前四時に突然パソコンが起動する(正確には、「スリープモードにしていたのに再起動がかかった」わけですが)。
コンピュータのスキルがあるわけではない私にとって、これはかなり恐ろしいことでした。
許可もなく電源系をいじるようなプログラムなんて、ウイルスかワームか木馬か、そんなようなものだとしか思えなかったのです。
枕元の眼鏡をかけ、ウイルスバスターの定義ファイルを更新した上で、スキャンを命じてその晩は眠りました。
朝、起きると、スキャンは終わっていました。
しかし、ウイルスは検出されず。スパイウェアの可能性があるクッキーがいくつか見つかりましたが、こいつらに勝手に電源をいじるようなことが出来るとは思えません。
しかし、しばらく見ていると、タスクバーからバルーンが膨らんできました。
内容は、「windows updateが終わったから再起動したよ」とのこと。
まさか、私が寝ている間(そしてパソコンもスリープモードの間)に、自動更新した上で再起動もかけたというのでしょうか? Microsoftが?
信じられません。
それでは、長期取材から帰ってきたらパソコンが勝手に再起動した上で何日もそのままだった、ということもありえます。仕事をしていたら、「アップデートしたから再起動するね」といきなりシャットダウンされてしまうことだって!
私は今でも、ウイルスの可能性を疑っています。
特に何かをダウンロードした覚えはないのですが……。
前置きはこのへんで、本題に入りましょう。
『遠まわりする雛』についてです。
なぜ、『遠まわりする雛』なのか。『遠回りする雛』ではないのか。
答えは簡単です。
……私は、「回」の字が、キライなのです!
回ですよ、回。
こんなの漢字じゃないやい。図形ですよ。どんだけ象形文字なのか。目がまわります。
「迂回」や「回答」などの熟語ならやむを得ず使いますが、動詞「回る」はほぼ確実にヒラキますし、「カイフク」だったら「快復」を使いたいぐらいです。正字法のためではなく、単に好き嫌いのために(ですので、たぶん「恢復」とは書きません)。
ということはもちろん、「凸」や「凹」も好きではありません。
あ、でも「卍」は割と好きです。
ということでご了承ください。
前置きばかり長くて、本題が一瞬で終わってしまいました。
まあ、よくあることです。
(07.10.10)
サイトを見てくださった方から情報が寄せられました。ありがとうございます。
簡単にまとめると、windows2000から電源系はBIOSじゃなくてOSで制御するようになった、と。
なので、OSの方で「再起動かけて」と指令が出ると、そうなってしまうことがありうる、と。
言うまでもなくアップデートはOSがやることなので……。
……いやでも、勝手に起動されてもなぁ……。
修理屋が来るとひとりでにエンジンかかる車とか、怖いでしょうに。
余談ですが、「廻」なんかは、かなり好きです。
「回」は象形文字で、文字通りぐるぐるまわっていますが、「えんにょう」が付くことによって「継続的進行」のニュアンスが加わります。
すると、図形でしかなかった「回」が漢字規則に組み込まれ、しかもなんだかどこまでもまわり続ける様が連想されて、ずいぶん可愛らしく思えるのです。
サイン会を行いました
こんにちは。米澤です。
角川書店から出させていただく〈古典部〉シリーズ新刊、『遠まわりする雛』についてインタビューを受けました。
てっきり、日常の謎としての側面を訊かれると思い、そのつもりで行ったのですが。
なんと「『遠まわりする雛』は△△小説である!」という側面からのご質問を受けてしまいました。
なるほど。△△小説としてもお読みいただけるなら、私としてもそれなりの仕事ができたのかなと自負できます。
ネタを割らないため△△の部分は伏せますが、「政治」とか「経済」とか「官能」でないことは、先に記しておきます。
去る9月9日に、東京新宿は紀伊國屋書店新宿本店さんで、『インシテミル』のサイン会を開いていただきました。
ダンベルで腕を鍛えて臨みました。
普段、紀伊國屋書店新宿本店さんでのサイン会は、販売フロアの一角で行われるそうです。
しかし今回、スペースの都合から、会場は最上階、事務フロアとなりました。
なんでもここは、販売フロアでは問題がある場合に使われるとのこと。
具体的には、無断撮影による肖像権侵犯の恐れがあるアイドル、突然の暴漢に対して備えなければならないVIPなどが、最上階でサイン会をやるそうです。
本当はもう少し読者の皆様とコミュニケーションを取れればと思っていたのですが、会場の時間の都合上、あまりお話しさせていただくことができませんでした。
この点はちょっと残念でしたが、その代わり、今回は整理券にコメント欄が用意されていました。
多くの方が、コメント欄にご記入くださったようです。皆様からのメッセージ、持ち帰ってゆっくり読みます。
一年ぶりの新刊にもかかわらず、整理券は比較的早期に満数終了となりました。当日も、本当に多くの方にご来場いただきました。
実は今回、「一年もかかったら、読者は米澤なんて忘れてるんじゃないかな」と不安な気持ちでいたのですが……。
心からお礼申し上げます。
今日から、また、新しい仕事にかかります。
(07.09.10)
お答えです
こんにちは。米澤です。
控えめに表現しても趣味がいいとはいえない、どんどん殺人が起きるノンシリーズ長篇『インシテミル』。
その一ヵ月後に、シリーズ連作短篇『遠まわりする雛』が出るわけですが、最後の作業をしていてふと気づきました。
死人どころか、犯罪そのものがほとんど起きてない……。二件? 一件?
我ながら、なかなかの振幅です。
一つの仕事が終わったので、次の仕事のセットアップをします。某出版社に電話しました。
米澤と申しますと名乗ると、女性の声でお世話になっておりますと返ってきます。落ち着いた、ごく常識的なやりとり。
その常識的である様にふと疑問を覚え、私はつい、口走ってしまいました。
「ところで、Aさんですよね?」
「はい、さようでございます。いかがいたしましたか?」
「……電話応対が、その、サラリーマンのように完璧だったものですから」
すると電話の向こうから、むっとした気配が伝わってきました。
「米澤さん。弊社は企業です」
「は。失礼しました」
「担当編集者にお繋ぎします」
そして電話口に、担当氏が出ました。
「はい(もふもふ)。あ、すいません(もふもふ)。いま(もふもふ)、ビスケット食べてて(もふもふ)」
電話の背後から、「企業ですから! 弊社は企業ですから!」というAさんの悲痛な叫びが聞こえてきました。
どこの出版社の話なのかは書きませんが、なんだか、バレバレであるような気もします。
先日募集しました「100の質問」ですが。
基本的に100質は自己顕示のためのもので、まあ、なんというか、他人のを読んでもあんまり面白いものではありません。私自身、これは空振り企画になるかな、と半ば覚悟をしていました。
ですがフタを開ければ、三日で100問。ありがとうございます。
出来る範囲でお答えしました。スルーする質問は誠心誠意スルーしました。
どうぞ、ご覧ください。→
100の質問
別の方面でも、質問にお答えしました。
『ボトルネック』のときにお世話になった
ときわ書房の聖蹟桜ヶ丘店様が、『インシテミル』のペーパーも作ってくださいました。
今回は、サイン会を開いていただく
紀伊國屋書店新宿本店様をはじめとして、いくつかの書店様でも配っていただけるとのことです。
もちろん無料ですので、見かけた方はぜひ、お手にとってみてください。
(07.08.30)
十周年です
こんにちは。米澤です。
先日、ほとんど何の前触れもなく気づいたのですが、このサイトは今年で開設十周年です。たぶん。
大変なこともあった、のでしょうか。いま思い出すと、楽しかったことしか浮かんできません。
私は確かに、中学生の頃から小説を書き、形はどうあれこういうものを書いて仕事をするのではないか、という漠然とした予感をいだいていました。
しかしインターネットというツールがなければ、それが大学卒業一年目という早期に実現できたかどうか、はなはだ怪しいものです。ネットでの作品公開を通じて、私は読んでもらうことの楽しみと、読者の目をどこまで意識しどこからは意識しないのかという点について知ることが出来ました。
私にとって小説とは、最初はルーズリーフに書くもので、次は段落ごとにbrタグを打ちながらノートパッドに書くものでした。
今日現在で、アクセスカウンタはおおよそ59万。もっともこれはトップページへのユニークアクセス数で、「近況報告」や「お知らせ」を直接ブックマークされている方も多いだろうことを考えると、実数はもう少し上がるのではないかと思われます。
これを10(年)で割って、さらに365(日)で割ると、だいたい160/dayという数字が出てきます。
アクセス数を気にするなんていう文化、忘れかけていました。記憶を辿れば、立ち上げたばかりの頃は3/day、小説のコマがある程度揃うようになって15/day、『氷菓』を公開した頃は70/day、といったところです。それ以降は、憶えていません。いずれにせよ、「大手サイト」であったことが一度もないことだけは、確かです。
十周年を記念して、何か企画が出来ればいいのですが。
あいにくここのところ、身動きが取れません(最近はたいてい、仕事以外の身動きは取れないのですが。12月ごろには余裕が出来る予定です)。
ですが何もしないというのも寂しいもの。
そこで、これも忘れられかけた文化を掘り起こしてみようと思います。
一昔前に日記系サイトを席巻した「100の質問」。いまはSNSを舞台に、「バトン」と形を変えて生き延びています。
「汎夢殿」は小説サイトでしたので、あのムーブメントに乗ることはありませんでした。
しかし、いまなら、企画のひとつとしてあり得そうな気がします。
というわけで、
短文の質問を募集します。
質問がある程度の数に達したら、まとめてお答えします。100を上限とします。
微妙な問題については遠慮なくスルーしますのでご心配なく。下着の色とか聞かれても困りますし。
いつまでも回答が公開されない場合は、以下の三通りが考えられます。
1)突発的な仕事が入り(あるいはトラブルが発生し)、サイトの更新に時間を割けなくなった。
2)質問がそれほど集まらなかった。
3)このフォームがアダルトサイトに目をつけられ、SPAMメールが殺到し嫌になった。
では、もし何か思いつきましたら、どうぞ。
(07.08.10)
100問に達したので募集を締め切りました。
ありがとうございました。
研ぎ澄まします
こんにちは。米澤です。
今回は本当に近況を報告するだけなのであしからず。
昨日は参議院選挙でしたね。
選挙を翌日に控えた28日、私は揺ぎ無い意思を持って不退転の決意を固め、磐石の用意を進めておりました。私は断固として、一歩も譲るつもりはありませんでした。
翌29日、私は絶対に、ねぎとろ丼を食べるのだ、と。
ねぎとろとは言うまでもなく、マグロのすき身とネギを混ぜたものです。多くのスーパーマーケットで売られているねぎとろは、味を
ごまかす良くするため、油脂分が添加されています。少なくとも数年前まではそうでした。最近の情勢だと、どうなのかわかりません。
あ、ちなみに添加してある場合でも「油を加えています」と書いてあるかどうかはわかりません。見抜けるものなら見抜いてみやがれ。
私はマグロのすき身を買ってきて、自分でネギをあわせることにしました。ネギといっても普通の長ネギというわけにはいかないのは、皆様ご存知の通りです。長ネギでは風味が強すぎ、マグロの口当たりを和らげるどころか、味わいを邪魔してしまいます。選択はもちろん小ネギです。
小ネギは細かく切らなければなりません。しかし、そのためには腕と、包丁の切れ味が必要です。残念ながら、腕はいまさら、どうにもなりません。
自慢の鋼包丁。これもそろそろ、切れ味の衰えが気になります。私は砥石を取り出しました。
実は、ここに話の順序の逆転があります。
私は一仕事終えると、包丁を研ぐのです。
心を落ち着かせるための、儀式のようなものです。
研ぐことそのものに意味があるのだとはいえ、せっかく包丁を研ぐのですから、何かは切りたい。切りたくて切りたくて仕方がない。しかしあいにく、辻斬りは御法度の浮世。いっぽう、本格的な料理をするには、この暑さが食欲に与えたダメージはあまりに深刻です。
そこで、小ネギを切ることを思いつきました。切った小ネギを何に使うか。
このようにして、私は29日にねぎとろ丼を食べることを決意したのです。
そうです、手段が先にあり、目的は後から設定されたのです。小ネギさえ使えれば良かった。もうおわかりでしょう、ねぎとろ丼である必然性など、どこにもありはしなかった。良いつゆの当てがあれば、素麺だってかまわなかったのです!
動機の赤裸々な告白があったところで、研ぎに戻ります。MS-IMEは「伽に戻ります」と変換してくれました。それイヤです。
砥石は荒砥と中砥が一体になった便利なものを。こういうとき、いきなり刃物を砥石に当ててはなりません。美味しい米を炊くには米に水を吸わせます。砥石に水を含ませるのは、それ以上に大事な工程なのです。
水に漬けて二十分。砥石の表面に水を垂らし、スムーズに吸収されていくようでしたら準備完了です。
新聞紙を広げ、その上に砥石を。砥石は万力で固定すると楽ですが、万力がないので自前の足で補います。まずは荒砥(目の粗い砥石)でひとしきり。研いだ面の反対側の刃を触ってみて、金属が反り返っていればOKです。刃を返して、その"かえし"を取ります。
そして仕上げは中砥。これも"かえし"が出るまで研いで、その"かえし"を取るだけです。
実に簡単な作業ですが、これがなかなか、面白いものです。秘訣は、砥石に当てるときの刃の角度。立てすぎては刃を削り落とすようなものですし、寝かせすぎては包丁が剃刀のように鋭くなってしまいます。ネギ一本切る間に、たちまちなまくらに戻ってしまうのです。
上手く研げたかどうかは、新聞紙を切って試す方法が一般的です。刃を爪に当てて滑らせるのもいいでしょう。爪に引っかかったらOKです。逆に、刃が爪の上をつるつる滑るようでは、研げていません。
そうして万全の切れ味を取り戻した包丁で、小ネギを小口に切ります。
すばらしい切れ味です!
小ネギの束が、潰れることなくスッと切られていくのが見えています。この切れ味ならば、熟したトマトさえ問題にもなりません。すばらしきかな研ぎ。研ぎ澄まされることの、なんとこころよいことか。
切った小ネギをマグロのすき身と合わせ、あとは和えるのですが、ここが問題です。単に混ぜても、混ざりません。ツナギに何か水分が必要です。
もちろん卵を落とすのですが、黄身しか使わないとしても鶏卵では大きすぎます。ここはウズラの卵が良いでしょう。
味つけもこの段階でやってしまいます。ワサビを溶いた薄口醤油を加え、かき混ぜます。満遍なく味がついたところで、ラップをかけ冷蔵庫へ。15分ほど、味が馴染むのを待ちます。
だいたい私は、ねぎとろ丼はこの「ヅケ」の技法を使った味つけがベターだと信じています。丼状態にしてから醤油をかけるのでは、どうしても味が行き渡らず、大量の醤油が必要になるうえワサビの効きにムラが出てしまいます。
確かに「ヅケ」では、マグロの赤さが消えてしまい、醤油色になってしまいます。薄口醤油を使ったところで、その宿命からは逃れられません。ですが、それが何だというのでしょう。ねぎとろ丼の本分に思いを致せば、何が優先されるかははっきりしているはずです。そうです、鮮やかな赤を見たければ、夕焼けでも眺めていればいいのです!
待ち時間の15分ほど歌い踊りながら選挙番組を眺め、おもむろに冷蔵庫から取り出すと丼ごはんに盛りつけます。
では、いただきます。
(07.07.30)
ただの近況報告ですってば。
箇条書きです
こんにちは。米澤です。
1)
庭が好きなのですが、東京には岩崎家の息のかかってない日本庭園はないのかッ!
少し足を伸ばしてちっちゃな庭園に行ったのですが、またしても「元・岩崎家の別荘」とは。
築山が案外高く盛ってあり、登るのに骨が折れました。
2)
ある出版関係者との打ち合わせ。とりあえず話のできる喫茶店に移動する途中のこと。
「米澤さん、ゲームセンターがありますよ」
「……ありますね」
「営業してますよ」
「営業してますね」
「シューティングゲームの腕を見せてください」
えー……。
とっくに現役を引退したことを説明しましたが、まあまあいいじゃないですかと押し切られ、ビジネススタイルのまま「
ぶっさし」でレバーを握ることに。
成績は「ストライカーズ1945II」をKi-84疾風使用で1-7まで。数年ぶりにしては最低限の面目は保った、というところでしょうか。
3)
電源系がやられたPCをあきらめ、新しいPCを買いました。
「基本的な用途は何ですか」
「ワープロソフトとメーラーとブラウザと、あとはFTPクライアントを少しだけ」
「VISTA proでしたらウインドウの表示がこんなふうに視覚的に……」
「はあ」
「……興味なさそうですね」
興味がないので、VAIOオーダーメイドで一番安いやつにメモリだけのっけたものを作ってもらいました。
データ移行に二日かかりました。どんな意図があるのか知りませんが、Sleipnirのブックマークが隠しフォルダのそれはそれは深いところに配置され、なかなか探し出せませんでした。
書いたものが入ったディレクトリのサイズは150MB。死ぬまでにCD-R一枚埋められますかね。
で、ゆるいテクノポップを聴きながら仕事をしていたところ、VAIOの親切心によって自動的に別のアルバムに切り替わりました。
ぬるーい気分に浸っていたところ、いきなりのゲンズブール。
なかなか、やってくれます。
(07.07.20)
便利です
こんにちは。米澤です。
この間の小咄はちょいと小粋なジョーク以上のものではなく、事実なのは半分ぐらいです。充分か。や、つまりですね、原稿用紙が送られてきた事実はありません。小咄のネタにされたB社の名誉のためにフォローフォロー。
久しぶりに電器店に行ったところ、目の玉が飛び出るかと思いました。
訪れたのは電子辞書のコーナー。旧弊で因循姑息なアナクロニズム信奉者の米澤としましては、電子辞書など「ふん、いったい何を狙っているのやら!」と冷笑を浴びせかける存在だったのですが、その日に見つけた新商品には、さすがに驚きました。「作家のカンニングペーパー」「語彙のドーピング剤」「言葉の上げ底」「表現のチートコード」「筆舌増幅器」「言いまわしのアンプ」こと、『日本語大シソーラス』が入った機種があるとは!
『日本語大シソーラス』が出たときには、参ったと思ったものです。こつこつ『広辞苑』を愛読して溜め込んだ語彙も、あれ一冊でことごとく関連づけられてしまうのですから。私の子供の頃の愛読書は『広辞苑』なんぞではなく、別のとある辞書でしたのでショックも浅かったのですが、ある種の作風にとってはつらいものが出たなあ、と思ったのです。
耳慣れない語彙を振りまわして鬼面人を驚かすようなことができなくなった、少なくとも「へえ、『大シソーラス』でも引いたのかね」で片づけられかねなくなったわけですから。
そしていま、それは電子辞書にまでなりました。インターネットの普及以降、「知識にアクセスできる」ことと「知識に容易にアクセスできる」ことの間にはベーリング海峡よりも深い断絶があることは、実感として知られていることと思います。
中学生の頃から電子辞書を愛用してきた私も、隔世の感を禁じ得ません。二つ上のパラグラフと矛盾したことを書きましたがそんなこと大した問題ではありません。
ただの「情報」だけでなく「こなれた言葉」さえもデータベース化され共有される。生硬い文章も、「名文化」ボタンいっぱつで、なまじの小説家の仕事など蹴散らす名文に変換される。身体感覚と分かちがたく結びついていたかのような「センス」も、外部化は余裕で可能なのだと判明する。
そんな時代はぜんぜん遠くない。というか、既にそうなり始めている。『言壷』かよ!
『日本語大シソーラス』入りの電子辞書を見て、私はそんな感慨を抱いたのです。
抱きついでに、ポイントアップキャンペーン中だったので購入もしてきました。
うわ便利だわ、これ。
(07.07.10)
とはいえ、促成栽培した不慣れな語彙を小説に放り込んだら、即座にバレますけどね。そもそも自分自身で耐えられないでしょうし。